身体がノーと言うとき
〜 抑圧された感情の代価 〜


ガポール・マテの「身体がノーと言うとき(日本教文社)」に、
スティーヴン・ホーキングと
彼の元奥さんジェーンのことが書いてあります。

ホーキングとは、ご存じのように、
有名な「 車椅子の宇宙物理学者 」です。

筋萎縮性側索硬化症
(きんいしゅくせい・そくさくこうかしょう)
という全身の筋肉が衰えてゆく難病のために、
自身では身体が動かせない状態になっています。

そんな彼が、その知的な才能を開花させたのは、
21歳で病気を発症してから後のことだと言います。

そして、病気のために肉体的に衰えていくホーキングを支えた
のが、前夫人のジェーンでした。


ジェーンのことを、この本で読みながら
わたしの頭に何故か浮かんでいたのが、
漫画家の赤塚不二夫の二番目の奥さん、赤塚眞知子さんでした。

赤塚眞知子さんは( 平成18年7月12日に )
56歳で亡くなっています。クモ膜下出血でした。

わたしは、新聞で偶然に眞知子さんの記事を読んでいました。
それは「 追悼 」という夕刊のコラムで、
その年に亡くなった著名人を紹介しているものです。

クモ膜下出血は、心身医学的にいうと、
心身の深い疲労感と強い情動的( 精神的 )ストレスが、
発病の引き金になることの多い病気です。

関連ページ 心身症とは(心の問題と身体の病気)
 

たまたま筆者の近所で、近い時期に、
ふたりの人がクモ膜下出血で倒れ、亡くなっています。
お二人とも中高年の方でした。

あとで知った話によると、お二人とも
家庭・夫婦問題で、たいへんな葛藤状況にあったようです。

「 追悼 」の記事は、こんなふうに書かれています。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

「 さあボクちゃん、お客さんが来てくれましたよ〜 」
昨年秋、赤塚不二夫さん(70)の病室を( 記者が )訪ねた時、
眞知子さんは、優しくベットの夫に語りかけていた。2002年に
脳内出血で倒れて以来、不二夫さんの表情は動くが、
意思の疎通は難しい。

「 先生、眞知子さんを籍に入れたら? 」 不二夫さんに再婚を強
く勧めたのは、離婚した前妻の江守登茂子(66)さんだった。
不二夫さんの数多い"恋人"の中で、元スタイリストの眞知子さん
だけが最初から違った。アルコール依存症で入院した不二夫さん
を付きっきりで看病し、当時、仕事が激減していた漫画家の為に
実家から借金までした。登茂子さんを 「 ママ 」 と呼んで慕い、
長女のりえ子(41)さんを、実の子のようにかわいがった。

( 眞知子さんは )生き甲斐は赤塚不二夫と語るほど、夫とその
才能を誰よりも愛した。99年にフジオ・プロダクションの実質的
な社長になってからは、体調を崩しがちな夫の代理として全集の
刊行や、赤塚不二夫会館の設立などに奔走した。
6月22日、事務所で頭痛を訴えて、夫と同じ病院に入る。同月末、
再度の発作で意識不明になった。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

「追悼」の記事からうかがえるのは、
たいへんに頑張り屋さんの献身的な方のようだった、
ということです。

クモ膜下出血での56歳での死は
なにによるものかは分かりませんが、
過度な心身の疲労とストレスとを想像させるものです。

孤立無援感や、もしかすると無力感に似たものを、
深い心には、抱えていらしたのでしょうか。
(そうだったとしても、周囲の人の前では明るく振る舞い、
そんな心や様子は、微塵も見せなかったことでしょう)

では、スティーブン・ホーキングの元夫人ジェーンは、
どうだったのでしょう。
ガポール・マテの「 身体がノーと言うとき 」から、少しだけ
引用してみます( 翻訳 伊藤はるみ )。
 

果たして重荷に耐えられるだろうかと、彼女が不安になったとき 、
友人たちは「彼があなたを必要としているなら、
やるべきよ」と言った。

 ジェーンの助けがなかったら、彼( ホーキング )はまず間違
いなく、
( 研究を )続けることはできなかった、あるいは、
続けようという意志を持つことすら出来なかったろう、そうホー
キングの二人の伝記作家が書いている。

 ふたりは愛し合っていたが、ジェーンは次第に燃え尽きたよう
な気持ちになっていく。彼女は1965年、まだ婚約中だった彼のア
パートへ行ったときのことを回想している。その時、彼女は腕を
骨折していた。
「 彼は、私の秘書としての腕前を使って、就職のための書類を
タイプさせるつもりだった。白いギブスをつけた左腕のふくらみ
を見て彼が、一瞬うろたえたのがわかった。その顔を見て、ほん
のひと言でいいから、いたわりの言葉をかけて欲しいという私の
願いは、打ち砕かれた 」
このエピソードは、二人の関係をよく物語っている。

彼女は夫と共に世界中を回ったが、それは数えきれないほどの困
難と出会う毎日だった。その困難は、ずっと後になって彼が名前
を知られ、本が売れるようになってやっと、幾分かは避けられる
ようになったのである。

二人が結婚すると(ホーキングの)家族は、介護から完全に手を
引いた。ジェーンは夫の世話だけでなく三人の子どもの面倒も、
一人で見なければならなかった。彼女は、次第に自分が消滅して
いくのを感じた。自殺したいとさえ思った。

「わたしは限界だった、でも、スティーヴンは病気に少しでも譲
歩するような提案に対しては絶対に拒否した。受け入れてくれれ
ば、私や子どもたちが少しは楽になるような申し出は、いくつも
あったのだが」とジェーンは書いている。

一度などは、義母はジェーンに、こんなことを言った。
「あなたを心から好きだと思ったことは一度もありませんよ。
あなたはうちの家風に合わないの」 これが、自分を犠牲にして、
十年間も息子に尽くしてくれた相手に言った言葉なのである。

結局、ホーキングの妻の座はひとりの看護師によって、引き継が
れた。結婚生活の終わり近く、離婚するまでの間、ジェーンが最
後まで彼の世話を続けられたのは新しい恋人のおかげだった。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

人は、自分が " 今ここ " にいることを相手から認められ、
愛情や思いやり、なにげない触れ合いというものを交換し合う
ことで、生きていくことが出来る。

それに支えられて生きている。

人間は、食べ物がなくては生きていられない。
でも、食べ物だけで生きているわけではない。
 

 

 上にもどる

 

 

東京都品川区のカウンセリングルーム | 森のこかげ
電話・スカイプ カウンセリング案内
面談カウンセリング お申し込み・問い合せ