カウンセラーの仕事 〜 面談と臨床への序章 〜

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本来の意味での臨床家としてのカウンセラーは、
幾つかの役割を同時に担っています。
たとえばそれは、
面談者として・治療者として・そして何よりも、ご相談者を支えてゆく存在、としてあるものです。

それら全てがひとつになって、
「カウンセラー」と呼ばれるものとなります。

ですので、心理学だとか臨床心理だとか、
そうしたものを頭に詰め込めこんでおけば出来る、というような容易な仕事ではない、ということは確かなことのように思います。

では、どうである必要があるのでしょうか。
それを、優れた臨床家・治療者の言葉から、
考えてみたいと思います。
同時に、一般の方々に、カウンセラーやカウンセリングを判断していただく為の一助にしていただければ、とも思っています。

下記の文中、
「精神療法」「治療」をカウンセリングへ。
「治療者」をカウンセラーへ。
「患者」をクライエント・ご相談者へ、と読み替え下さい

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

治療者は、患者を積極的に担おうとせずに、
空が飛ぶ鳥を支えるように、水が泳ぐ魚を支えるように、大地が歩む人を支えるように、支えるべきである。

バリント( 中井久夫 訳 )

治療者は、クライエントの行くところへ、
どこまでもついて行かなくてはならないのです。

ジグムント・フロイト


心理療法家(カウンセラー)は、自分自身の治療を終えたところまでは、クライエントを援助できます。
いいかえれば、自分自身の治療を終えていない間は、治療者
(カウンセラー)は、本質的にはクライエントの治療ではなく、自分自身の治療を延々と続けている、ということです。 
光本和憲
 

精神療法は小手先や口先の技術ではない。
精神療法にはいろいろな流派
( ○○療法のたぐい )があって、競い合っている。この狭い意味の精神療法は、広い意味の精神療法に支えられていなければ、害あって益はない。
広い意味の精神療法とは、患者・クライエントに対する一挙一動であり、たとえば呼びかけるときの声の調子や、医師であれば薬をわたす手つきへの配慮を含むものである。
これが分かってなくて、狭い意味の精神療法ばかりを身につけた人は、誰であろうと、患者・クライエントに対してかなり「危険な治療者」である。
中井久夫


精神療法には、狭い意味と広い意味とがある。狭い意味の精神療法は、森田療法、認知療法、精神分析、行動療法、内観療法などなど、それぞれ特別の名で呼ばれている。
これに対して広い意味の精神療法は、治療者の一挙一動に始まる。そして、治療の場でおこる患者の言動と治療者側の言動が、治療上どういう意味をもつかを考えてゆくことである。こちらの方が、実はとてもむずかしい。
それは登山をする人ならば思い当たることだろうが、「
この岩は手をかけて大丈夫だろうか、この凹みはどう用いることがよいか、ここは滑りやすいから気をつけよう、このルートは一見よさそうだがあそこのオーバーハングは行き止まりになりそうだ 」などと考えて、一歩一歩進んでいくことである。この広い意味の精神療法がしっかりしていないのに、狭い意味の精神療法をおこなうことは危ない。
また質問にも、この配慮がなくてはならない。「 質問 」には、すでに治療力(だから破壊力も)ある。
逆に、広い意味の精神療法がしっかりしている人ならば、その人が狭い意味の精神療法が何であろうが、その人の一挙一動から多くを学ぶことができる。

中井久夫


会場からの質問者
性急に結論ばかりを求め、しかも、自分に都合のよい結論が出ないと納得しない人が、増えてきたような気がします。じっくりクライエントと向き合って悩みを傾聴するなど、これまでの精神療法的なアプローチに限界を感じることがあります。
神田橋條治
精神療法的なアプローチというものに誤解があるね。
じっくりと自分の問題と向き合って、自分の心を傾聴するような姿勢を、相談者の中に育てるのが精神療法。
治療者が傾聴するのは、そのモデルを示していることなんだ。
急いで結論を出さないという人間の姿のモデルを示して、そのモデルを相手の人の中に育てていって、やがて、その人が自分の心に耳を傾けながら、考えていけるような人になるように、ということなの。
でもそれがそもそも出来ないのよね、治療者のほうがせっかちで忙しくて。


自分と患者とが作っている複雑系の中で
治療が進んでいるのだということを忘れて自分は客観的な観察者であると思った瞬間に、治療はうまくいきません。
実際の治療は、治療者と患者とが織りなす複雑系の中で
原因が結果になり、結果が原因になり回っているということです。
神田橋條治
 

 治療の長期化を怖れて、経験の乏しい治療者は、時折あれこれの試みをする。言語的な交流がおもわしくないとみると、すぐ絵を描かせる、あるいは箱庭を作らせてみる、行動療法の真似事をやる。
近頃は精神療法の流派
(○○療法のたぐい)に関する啓蒙書が出揃っていることもあって、このような一貫性のない精神療法が試みられることもあるようだ。これは患者に不安と混乱と不信感とを与えるだけで、治療の短期化はおろか多くの場合、治療の中断を招く危険がある。したがって、目先の効果を狙うあまりさまざまな手法をごちゃまぜにすること自体、非精神療法的なはからいである。
下坂幸三


「 患者・クライエントと一緒に、ひとつの問題を考えて、意見を出しあってゆく 」ということが、基盤になければ、それが消えてしまっていれば、それはケアする精神が消えている精神療法ですから、そういう精神療法はすべて患者を操っているんです。操っている精神療法は、技術偏重の精神療法です。
ところが、「 よし、それならそうしよう 」と思うと、できないの。これができないんです。患者を振り回したりする精神療法、あるいは一方的にやってくる技術偏重の精神療法家は、けしからん人ということではないの、可哀想な人なの。それは、それしか出来ないからなんです。では何故できないのか。

神田橋條治

「 ああ、そう、うん、うん 」とか云って聞いてるだけなら、素人でもできるんです。プロは理解を深めていく、そして深まった理解をまた相手( クライエント )に返して、相手の理解を深めてゆく、ということをするんです。そういう面談や活動ができる人がいい治療者です。
だけど、患者・クライエントが「 なんだか訳がわからんことを根掘り葉堀り聞かれる 」と感じるようだったら、いい治療者じゃない。患者の話を邪魔して、こっちの訊きたいことや云いたいことだけグジャグジャ喋って、患者のほうが「 云いたい事を、ちゃんと話せなかった 」と思うようだったら、それはいい治療者じゃないの。
では、いい治療者と、そうでない治療者は何が違うと思いますか。そのことをお話するのが、今日の講義の眼目です。

神田橋條治
 

 治療者がけっして無理を強いないこと、強引に患者・クライエントの秘密をもぎ取ろうとしないことなどを、特におのずと態度で示すことによって、患者・クライエントに「 安心を贈り 」つづける必要がある。それは何よりもまず、患者の「 気持ちを汲む 」ことに務めることに他ならない。
 患者・クライエントが自分自身でとっくに承知してるいこと、家族など周囲から聞かされ飽きていることを、治療者が繰り返すことは無効であり、「 押し問答 」への近道となる。
 さらに「 言いたくないことは語らなくてもよい 」保証を与える必要がある。「 心の秘密 」を採られることへの不安は、とくに思春期の患者・クライエントに多い。したがって、「 それから・・・・」「 それから・・・」と先へ先へ問うてゆく面談は避け、ひとつの、できるだけ具体的個別的な事柄を、さまざまな角度からとり上げる方がよい。
 患者・クライエントが治療者と人間的な沈黙を共にできるようになることが、言語的交流に劣らず、重要である。
中井久夫


セラピーにとって最高の治療学はひとつしかありません。それは
(クライエントとの)関係のなかで自分のあり方が、クライエントに対してどんな影響を与えているかを批評眼を持って検討し続けながら、あなた自身があなた自身のために、発展させたものなのです。
カール・ロジャース 


「 望ましい治療像は何か 」という議論がある。これは机上の空論だと思う。自然に落ち着くところに落ち着けばよい。また、治療目標としては、「適応」という言葉も私は好きではない。むしろ「折り合う」という言葉を用いたい。
中井久夫

治療は他人でなければ担えないような厳粛さを持っている。
治療者であっても、
(患者の家族の)不安に振り回されたり、迎合しては治療はうまくいかない。
中井久夫
 

一般に、ベテランになればなるほど、見立ての説明は自信なげです。自分に自信があるから、正直に振る舞えるのです。格好よい見立てをするのは、おおむね未熟な治療者の、自他へのこけおどしです。
神田橋條治

治療関係での確かさ 」ということはどういうことかというと、予測がつく、ということです。
たとえばここに水がありますね。で、このコップをこうしたら、水がこぼれるだろうと予測がつきますね。もしこぼれなかったら「 えっ! 」とか思うでしょ。心が揺らぎますね。そういうことです。
患者の側からみて、一瞬先の言動の予測がつくような治療者であるほど、患者を揺さぶらないですね。「 こんなことを言えば、先生はこう答えるだろう 」と、だいたい予測して、その通りの答えが返ってくると、「 ああやっぱり、私が思った通りだった 」と思って安心するわけです。それが「 確かな対象 」ということ。
 それがときどきまったく違うものが出たりすると、患者はびっくりします。「 先生がばけた 」と感じてしまう。

神田橋條治


精神療法におげる「 気づき 」が本物であるときには、「 前々から知っていた点を改めて知った 」という感触を伴うことが多く、そのような特徴を持つとき、その気づきは必ず治療の力を発揮する。

神田橋條治


因果的に考えることより、意味を認識することこそ大切なのだ。

ヴァイツゼッカー( 木村 敏訳 )


中井久夫

サリヴァン( アメリカの精神科医・臨床家 )は、病気はもっと悪い事態からその個体を守っているのではないか、と言っています。僕も患者さんを診ていて、この患者さんにとって今病気にかかっていることより、更に悪い事態はなんだろうかと考えます。実はしばしばそういう例があるんです。
神田橋條治
つまり治療者は、俺の凄腕でなにがなんでも治してやろう、などとは思ってはダメなんです。たとえば、漢方治療には患者さんに自由があります。医者のもとを去ってゆくことも、そこに残り続けることも割り合い自由なんです。結果的に、その医者の処方に合った人が残っていくから、いっそう効き目が発揮される面がある。
中井
すぐれた治療者になろう、などというのは邪念ですよ。
神田橋
治療者の理想は、森林浴を提供する森林のようになることですね。海水浴の際の海のようになれれば理想です。
( 中井久夫×神田橋條治 スーパービジョン1 )


心理臨床系の人は、主として健康者や神経症、児童などで経験をつんできたため、とくに統合失調症の患者や嗜癖者の治療が、いかに忍耐を要するものであり、効果を度外視してかからねばならないことが少なくないこと、そして多年の積み重ねも一夜にして崩れ去ることを、覚悟せねばならないかを十分に、身をもって知っていないことが少なくない。
それで時には治そうとするあまりに、ムキになり、かえって大きな抵抗を惹起し、治療をなしくずしに放棄することになりやすい。
これは精神療法に関心をもつ医師にもみられることである。患者の方が安易な接近、過度の接近に対していっそう強い懐疑の念を抱くものであることを、忘れてはならない。

中井久夫


( ウィニコット / イギリスの精神科医 )が解釈をすることはめったにありませんでした。するとしても、すでにわたしの意識や気づきが、あるところに達していて、事柄を意識化できるようになっている時だけでした。ですから、彼の解釈は、聞いた瞬間、その通りと感じられるものでした。
けど、彼は「 きっとこうです 」といった態度はとらず、
「 こうじゃないかと思うけど ・ ・ ・ 」とか、
「 ・ ・ ・ なのかしら? 」とか、
「 ・ ・ ・ みたいに見えるね 」とか、言うのでした。
彼の言っていることを、わたしに味見したり触ってみたりさせ、それを受け入れるか拒否するか、の自由がわたしに与えられている雰囲気です。

マーガレット・リトル( 神田橋條治訳 ) 


精神分析
(カウンセリングや心理療法)にはひとつの原則があります。
つまりセラピストはクライエントについて正確な意味を発見しようとして、くよくよ思い悩んではならない、ということです。そんな事に心をくだく必要はありません。
抵抗を克服できるようにクライエントを手助けしてやってさえいれば、結局はクライエントのほうでその意味を見つけ出すものです。
ジグムント・フロイト


( 今朝おこなわれた講演で )
心理劇のセラピストの人が、「 治療者が何かを体験して成長しなければ、セラピストとしての真の治療活動はできない 」と言われました。
これは not がふたつ入る表現で「 言うことをきかないと生きては帰れないぞ 」と言うように、堅苦しく脅迫じみたものを感じます。
それを「 治療者が自分の心理劇体験のなかで、ひとつずつ何かを乗り越えていく分だけ、治療がうまくいくようになるのです 」というように言い方を少し変えてみると、中身としては同じことを言っているのに、なんとなく優しく感じられるのではないでしょうか。
このように、不安をかき立てるのではなく、夢をかき立てる、希望をかき立てること。そのようなことも言葉の非言語的な部分なのです。

神田橋條治

 

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