愛情過多症について

ここでは「 愛情過多症 」と呼ばれる行動パターンについて、
カウンセリングの立場から、記しています。


「 愛情過多症 」とは、
本当は自分自身が傷ついている心を抱え、
癒されること、お世話されることを求めているにもかかわらず、
傷ついている人をお世話することで、
自分を癒す代りをしようとする心のパターンを云います。

傷ついている人、困っている人をお世話していると、
 なぜか心が落ちつく、安心する
という項目に
丸をつける人は、程度の違いこそあれ、
愛情過多症の心を、どこかに抱えている人です。

もちろん、「 自分を癒す代り 」のものとは、
「 愛情過多症 」ばかりではありません。
人によって、それは様々なものとして存在します。

たとえば、
「 肩書き 」や「 地位 」といったものだったり。
「 人を監督・指導する立場 」で、その代りを得ようとしたり。
様々な在り方があります。

ですので、愛情過多症というパターンは、
むしろ「生きもの」としての本来的な心を賦活させること、でも
あるかも知れないのです。
( 賦活・ふかつ・甦らせ再活動させる )

しかし、愛情過多症もグラデーションのように、
やはり程度の違い、というものがあります。

右端の白色から左端の黒色までの間に、
グレーのグラデーションがずっとつながっているイメージです。

その何処かに、誰もが入るとしても、
やはりグレーの色の濃さの違い、というものがあります。

ですので、
愛情過多症の心が深いかたの場合では、
自分よりも傷ついている人、自分よりも「 重症 」な人を、
お世話する相手として選んだり、求めるようになります。

自分よりも「 軽症 」な人では、
自分自身を癒す代りとはならないからです。

それは言葉を換えると、
「 傷ついている人を必要としている人 」
とも云えるかも知れません。

もちろん、この場合の重症・軽症とは
あくまで主観的なものです。


こうした意味での、愛情過多症のテーマを抱える人は、
看護職や介護職、医療畑、カウンセラー、理学療法士、
教職員や保育者、ボランティアなど、
いわゆる対人援助の仕事や活動に携わる人たちの中にも、
しばしば見かけることになります。

また例えば、
優れた人格者、優れた教育者、と呼ばれる人たちの中には、
愛情過多症の課題を深く抱えながらも、
自己成長を遂げてゆくなかで、社会活動や子どもの教育などに、
より高く昇華されていった人たちが存在しています。

葛藤や問題が顕在化するのは、ひとつには、
自分を癒す代りをしようとする行為・行動が、
不器用だったり一方的になることが多いために、
相手から喜ばれたり、感謝されることが少なく、
少しも自分を癒す代りとはならない経験を、
繰り返し重ねてゆく場合です。

自分が与えたいものと、相手が求めているものとが
一致してくれたら良いのですが、
相手が求めているもの・相手が欲しているものよりも、
自分が与えたいものが優先するために、
いらないものと求めているものとが、
いっしょくたに与えられる、という場合も多くなりがちです。

しかし、与えられる側の人・受け取る側の人は、
相手が「 善意・厚意 」でやってくれている、と思うので
不満や食い違いがあったとしても、なにも云えません。

この場合の「 善意 」とは、
相手との本来のコミュニケーションを妨げるものです。

また時と場合によっては、
抑うつ的になることも出てくるかも知れません。

何故なら、いくら人のお世話しても、ただそれだけでは
結局は、自分自身を癒すことにはならないからです。

また、お世話してあげた相手の人が、
いつも自分が期待し望むような反応を見せるとは限りません。

感謝してきたり、素直に従ったり、してくれればよいのですが、
自分がよかれと思ってやってあげたことが、
素直に受け入れてもらえなかったり、
「 有りがた迷惑 」がられたりして、
「 報われ感 」を得られないことが続くと、
憤りや虚しさが湧いてきます。

なかには、自分のいう通りにならないと
怒り出す人がいたりします。

云うまでもなく、愛情過多症のこうした問題は
援助職に限ったことではありません。
日常の人間関係のなかにも、しばしば存在しています。

 

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 東京都品川区のカウンセリング・ルーム「カウンセリング森のこかげ」が、「愛情過多症」についてお伝えしています。 

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