神経症とカウンセリング

神経症についての一般的な解説や説明でなく、
カウンセリングをお考えの方に向けて、書かれたものです。


「 神経症 」と呼ばれるものには、
ご存じのように、様々な症状や状態があって、
神経症は人の数だけ症状や状態がある」とも云われます。

「 神経症 」のために困っていらっしゃる方、
そして、仕事や生活が思うようにいかなくなっている方、
などもいらしたりします。

病院やクリニックに通院して、
服薬と共にカウンセリングを受けていたけれど、
そこでのカウンセリングがつらくなってしまったり、
合わなかったりで、
こちらにいらっしゃる方も、おいでになります。

病院でのカウンセリングでは、病気や症状のことばっかり
だったけど、ここだと、いろいろな話ができて、それをじっく
り聴いてもらえるので助かる

そうした言葉をお聞きすることもあります。
もちろん、印象や感じ方は、人の数だけあるはずです。

カウンセリングの場合、
お話しをしながら、落ち着いてゆける、ということが
まずは最も大切な指標かもしれません。


症状と呼ばれるもの

症状の羅列をもってして、その人を理解することはありえない。
症状には、それなりの意味があり、歴史があり、必然性があっ
てあらわれてきているのであろう。そういった背景を無視する
ことは、臨床家のなすべきことではないのである。

( 小倉 清 児童精神科医 )

それは神経症でも、変わりないと思います。

一般に、神経症というよりもノイローゼのほうが通りがよいで
あろう。しかし、このドイツ語は、もともと神経症を指す言葉
だったが、日本にはいって、意味がぼやけてしまった。

( 中井久夫 精神科医 )


名前(病名)にこだわっていても意味がない

神経症と呼ばれるものには、さまざまな症状や状態があり、
それぞれに名前(病名)が付けられています。

そして、神経症の病名の特徴は、
その目立つ症状を、
そのまま病名にしているものが多い、ということです。


神経症と呼ばれる分野は、あまりにいろいろな症状があり、
しかも「生まれつきの体質や気質」が原因として大きいものや、
「最近の出来事や悩み」が原因として大きいものや、
「心の働きの癖」が原因となっているものや、さまざまです。
ですから、神経症という大雑把な呼び名を廃止して、
症状ごとのたくさんの診断名に分けたほうがよいと考える傾向
になっています。

( 神田橋條治 精神科医・精神療法 )


たとえば、神経症の病名とされるものでは、

強迫神経症/強迫性障害  不安神経症  自己臭
社会(社交)不安障害(対人恐怖症) チック
離人神経症(離人症) 神経症性うつ/抑うつ神経症
恐怖症と呼ばれるもの
(不潔恐怖症 乗り物恐怖症 閉所恐怖症  高所恐怖症など)

などが、すぐに浮かんできます。

その他にも、ご存じのように、いろいろな病名があります。
しかも時代が変わると、
同じ症状が別の病名に変わってしまう。
コロコロ名前が変わっていく、ことがよくあります。

ですから名前にこだわっていても、余り意味がありません。

不登校、引きこもり、リストカットなどの自傷行為、
そして、過食嘔吐などの食行動に関するものなども、
神経症あるいは神経症的なもの、とされています。

対人恐怖症は、日本独得の神経症であると言われたこともあっ
たが、アメリカでシャイといわれる人は、このアメリカ版で
ある。

( 中井久夫 精神科医 )

神経症が、身体の機能障害として現れることもあります。


症状を大切にすること

神経症からの回復を、
ご一緒に考えてゆくとき、
カウンセラーとしての経験から申し上げることですが、

「 症状 」をなくすことを直接の目的・目標にしたり、
「 症状 」を取り除くことにしか目が向かずにいると、
深い森の中に道を踏み迷うことになりかねない、
ということがあります。

神経症にかぎらず、
「 症状 」とは広い意味において、
その人にとって何か大切な意味があって、あるいは訳があって、
もしかすると何か必要があって、
現れ出ているものかも知れないからです。

そう云われても、自分にとってなにか意味や必要があるとは、
 少しも感じられません

そう云われてしまうことがあります。
たしかに、おっしゃる通りです。

もちろん、
すぐにはその意味(ご自分にとっての症状の意味)は、
分からないものです。
でもカウンセリングでお話しを続けていくうちに、
気がつく時が、
自然に訪れることが多い気がしています。

そういう意味では、少しおかしな云い方に聞こえますが、
「 症状 」を大切にしてゆくこと。
云い方を換えると、
「 症状 」を大切にみてゆくこと。

それが回復への、
大切な大切な第一歩になる様に思います。
 

神経症のパターンは、すべて好ましからざるものであり、
誤った学習の結果であると見なされがちである。
この見方は治療に役立たない。
そうしたものを好ましくないと前提して出発する治療が、どの
ような経過をたどるかは、すでに日常目にする通りである。
( 神田橋條治 )


神経症の症状は多くの人が経験すること

たとえば、よく見かける軽い神経症症状のひとつに、
ノドに何かが引っかかる感覚がとれない、
ノドに異物感がする、というものがあります。

心身症の一つとされるもので、
「 咽喉頭 いんこうとう 異常感症 」という
いかめしい名前がついています。

ごく軽度な神経症的症状ということでは、
トイレの扉の取手を素手で握れない、
電車の吊り革を素手でつかめない、という人たちは
意外に多いものです。

あるいは、カギを閉めたかかどうか、何度も確認してしまう。
ガスや火の元を何回も確認しに戻る。

こうした「確認強迫」のような行為は、
一時的であれば、誰もが幾度も経験があるはずです。

それは、ストレス症状のひとつです。

このように、神経症の症状とされるものの多くが、
実はごく一過性(一時的)で軽度な程度であれば、
多くの人たちが、しばしば経験しているものです。

ですので、それが改めて「 神経症 」とされるには、
その症状や行動のために、生活や仕事、学業や人間関係などに、
なんらかの支障や妨げを生むようになっているものを、
要するに「 神経症 」と呼ぶことになります。


おのずから回復してゆく、ために

安永 浩(精神科医)氏は、
次ぎのようなケースを記しています。
長年の神経症症状が見事にとれて、医師・本人ともども喜び合
ったのに、突然自殺を遂行する、といったショッキングな例も、
実際に存在する。

( 木村 敏 精神科医 )
私は以前、自分が診察していた統合失調症の若い患者さんが、
症状がとれたとたんに、自殺をしてしまったという苦い経験を
したことがありますが、この経験から、十分な治療関係が築か
れてゆく前に、症状だけを治療するのは、ときとして非常に危
険なことだ、という教訓を得たように思っています。


もちろん患者さんやご相談されるかたは、
現実に困っていらっしゃいますし、
悩んでいらっしゃいます。
それをなんとかしたいと思っていらっしゃる。

と共に、
たとえどのような人やケースであっても、
症状とは、深いわけや意味があってのもの、かも知れない。

そこには、その人にとって何か大切なものが含まれている、
ということを、
カウンセラーとして・臨床に携わる者として、
忘れないでいたいのです。


神経症性障害については、薬物は特に補助的な位置にある。
それは葛藤を未解決のままに遷延
( せんえん/ 慢性化と似た
ような意味 )
させる。しかし場合によっては、そうしている
うちに周囲の状況が変わり、問題が自然解消するかもしれない。
しかし、あくまでもそういうものであって、ただ漫然とした薬
物投与、特にいわゆる無診投与、あるいはそれに近い状態は、
薬物への精神的依存の生涯に陥らせかねない。

( 中井久夫 )


遠回りが一番の近道、のとき

●●● がなくなってしまったら
 なんだか自分らしくなくなる気がする

もうこれ以上、良くなりたくない

自分は本当に良くなりたい、
 立ち直りたいと思っているのか、そう考えたときに、
 やっぱり心の底では、
 今のままでいたいと、思っているような気がします 」

良くなりたいと思っているのに、
 
( 症状が )なくなってしまったり、良くなってしまうのが
 
とっても不安なんです

これらは、ご相談者の方たちが、
率直に語ってくださった言葉です。

カウンセリングでお話しを続けてゆく中で、
こんなふうに、もうひとつのご自分の気持ちに思い当たり、
それを面談の中で、
語ってくださる方たちもいらっしゃいます。

むしろ、そのような方のほうが、
皆さん
(たとえ多少時間がかかったとしても)良い方向へ、
歩んでいらっしゃることが、多いように感じています。

久しぶりに思いっきり食べて吐いたら、
 まだこんなに吐けるんだと思って安心した

そんな話をお聞きする機会もあります。


神経症に限らず、回復に一直線は禁物です。
寄り道をしながら、時々休憩して、
道端の草花を眺めながら歩いてゆきます。

遠回りに思われるかもしれません。
でも、遠回りに見えて、
結局は一番の近道、ということは案外多いかもしれません。

「 急がば回れ 」という言葉もあります。

そして、
神経症の症状は「 抜ける 」という云い方がされるように、
ある時いつの間にか、
気がついてら、消えていた・軽くなっていた、ということが
起きてくることがあります。

ですので、焦らず根気よく取り組んでゆくことが大切です。


必要がなくなったところから取れてゆく

「 症状 」に何か意味やわけ、があってのものであれば、
その意味や必要がなくなったところ・部分から、
おのずから、自然に取れてゆくもの、ではないでしょうか。

そうした「 おのずから 」「 自然に 」ということが、
治療やカウンセリングでは、
もっとも大切になることだと思っています。

それを、ご相談者とカウンセラーとが、
一緒に模索(もさく)してゆくプロセスが、
神経症のカウンセリングでは、
珠玉の如く貴重な時間となるものではないでしょうか。

人の心や身体は千人千通り

「 こうすれば治る 」
「 これで良くなった 」式のものがあります。

たしかに、それにピッタリ当てはまればよいでしょう。
しかし、人の心や身体は
本来は千人千通りのものです。お一人おひとり違います。

身体の機能障害と神経症

神経症性障害が、
身体の機能障害としてあらわれるケースもあります。

機能性障害というのは、
身体には具体的な異常や病変は見当たらず、
その働きや動きに、不具合が生じているものを指します。

たとえば、脚や膝が動かせず歩けなくなったり、
身体の一部分が麻痺(マヒ)したようになったり、
書痙(しょけい)と云って、
字を書こうとしたり、書いている時に手が強張り振るえて、
字を書くことが出来なくなる症状もあります。

スポーツ選手のイップスも、これに含まれるでしょう。

たとえば、歌手の田辺靖男さんのケースも、
もしかすると、こうした病態だったかもしれません。

ある朝、仕事に行くために、玄関を出て歩こうとしたとき、
両足の付け根( 鼠蹊部 )に激しい痛みが走って、そのまま
一歩も歩けなくなってしまった。
足を踏み出そうとすると激しい痛みが襲ってくる。

すぐに病院へ連れていってもらい、その日から車イス生活。
通院しながら、病院でありとあらゆる検査をしたけれど、
どこにも異常が見当たらない、原因不明と告げられた。
そこで、すぐに入院するように云われた時、奥さんで歌手の
九重佑三子さんは、原因が分からず治療法もないというなら入
院させる意味がありません、と云って自宅に連れて帰ってきた
といいます。
その日から、自宅で夫婦二人三脚でリハビリと養生をしていく
中で、また元気に歩けるようになって、1年後に仕事に復帰し
たということです。

奥さんの九重佑三子さんは、「絶対に治る、良くなると信じて
いた」と語ります。
もしかすると、ご主人を見ていて、なにか
を感じていたのかもしれません。

玄関から出ようとして歩けなくなる暫く前から、体調の変調が
あったといいます。
たとえば、あくびが出て仕方がない。とにかくあくびが出る。
それから歌詞が覚えられなくなっていた。ぜんぜん歌詞が頭に
入ってこなくて、ステージに出てもうまく歌えなくなっていた
けど、忙しかったので、とにかく仕事をこなし続けていた、
と云います。


もしかすると、発症のしばらく前から、
軽度の抑うつ状態になっていたのかも知れません。

関連ページ 抑うつとは

ただし、一見神経症と見まかうような身体症状が、
中枢神経的な疾患によって見られることも多いため、
まず検査が必要です。

 

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