カウンセラーとしての仕事


あなたになら、これまで誰にも打ち明けられなかったことを、お話しできそうです。
アンネ・フランク

| はじめに |

故・下坂幸三氏が、次のような言葉を残しています。

職人やスポーツ選手の世界では、天賦の才に加えて、とことん修練を重ねた者が名人と呼ばれるようになる。心理療法(カウンセリングと同じ意味)の世界とて、例外ではないでしょう。
難しい例も敬遠しないで多数例の経験を積まなくては、いつまでたっても、腕の立つ心理療法の職人にはなれない、と信じます。

 下坂 幸三

上の言葉にもあるように
カウンセラーとは臨床家(職人)
と呼ばれる者たちに属しています。

ではカウンセリングとは
本質的にどのような仕事であり

カウンセラーが良い仕事をするためには
どのようであることが望ましいのでしょう。

そうしたことを
優れた臨床家・治療者が語る言葉から
考えてみたいと思います。

下記の文中にある
精神療法・心理療法、
治療・患者・治療者などの言葉は
カウンセラーやカウンセリング、クライエント(相談者)などに、適時置き換え下さい。

精神療法も心理療法も、実は同じ言葉を日本語に訳したもので、医者は精神療法という言葉を好みます。

 中井久夫

(臨床家というのは)自惚れることのできない存在である。説明は必要あるまい。
私は学生たちに、自惚れたい人、出たがり屋には向かない。そういう人が臨床に来ても、いつまでも不満を味わうと思う、と言っている。

あいまいな状況に耐えられない人、手っ取り早く成功をおさめてビールでも飲んで早くスッキリしたい人も、満足な臨床家にはなりにくい。
白黒をキチンと決めなければ気の済まない人も、果たしてどうだろうね。

 中井久夫

面接の技術は、長い修練と工夫を経てしか身に付けることができない。

 バリント

クライエントを積極的に担おうとはせずに、たとえば、空が飛ぶ鳥を支えるように、水が泳ぐ魚を支えるように、大地が歩む人を支えるように、支えるべきである。

 中井久夫

カウンセラーがけっして無理を強いないこと、強引にクライエントの秘密をもぎ取ろうとしないことなどを、特におのずと態度で示すことによって、クライエントに〝安心を贈り〟つづける必要がある。
それは何よりもまず、患者・クライエントの「気持ちを汲む」ことに務めることに他ならない。

更には「言いたくないことは、語らなくてもよい」保証を与える必要がある。
したがって「それから・・・それから・・・」と先へ先へ問うてゆく面談は避け、ひとつの、できるだけ具体的個別的な事柄を、さまざまな角度からとり上げる方がよい。

患者・クライエントが人間的な沈黙を共にできるようになることが、言語的交流に劣らず重要である。

 土居健郎

臨床家が心すべきことは、クライエントとよい関係を持とうとすることではなく、患者・クライエントを理解しようとすることである。
もちろん、人の心は容易にわかるものではない。そのため、何か専門的な概念を持ってきて、それでもってクライエントの言動を分かったつもり、になろうとすることが行なわれる。
典型的な例が、精神分析の概念や用語を借りてきて、それでもってわかったつもりになることである。
その他にも、心理学や精神医学などの種々の概念や用語が、このような目的に乱用されることがきわめて多い。

ところで、このような浅薄(せんぱく)な行為は、クライエントを理解するということとは、まったく無縁なことである。

 星野 弘

治療のやり方やアプローチの仕方によって、患者の予後は変わるが、患者の予後はしばしば、患者の個人的な性質に帰せられてしまい、治療者の言い訳になっている。
だが、治療者側の要因の方がよほど問題であると、私は思う。

端的な例は患者の自殺に表れる。
精神科の患者は自殺のリスクが高く、精神科医が治療活動を続ける以上、患者の自殺を避けて通ることは困難である。とはいえ、特定の治療者に高率に発生する傾向は、厳粛な事実である。
しかも当の治療者が気づいていない場合が少なくないのは、原因を患者の個人的な性質や精神疾患の特徴にして、己の治療を省みないためである。

 会場からの質問
性急に結論ばかりを求め、しかも自分の都合のよい結論が出ないと納得しない人が、増えて来たような気がします。
じっくりとクライエントと向き合って、悩みを傾聴するなど、これまでの精神療法的なアプローチに限界を感じることがあります。

 神田橋條治
精神療法的なアプローチというものに、誤解があるようだね。
じっくりと自分の問題と向き合って、自分の心を傾聴するような姿勢を相談者の中に育てるのが精神療法。治療者が傾聴するのは、そのモデルを示していることなんだ。

急いで結論を出さないという人間の姿のモデルを示して、そのモデルを相手の人の中に一緒に育てていって、やがてその人が、自分の心に耳を傾けながら考えていけるような人になるように、ということなの。

でも、そもそも治療者のほうでそれが出来ないのよね。せっかちで忙しくて。

 カール・ロジャーズ

あなたにとっての最高の理論とは、ひとつしかありません。
それは、クライエントとの関係の中で、自分のあり方がクライエントに対してどんな影響を与えているかを、己への批評眼を用いて自らを検討し続けながら、あなた自身があなた自身のために作り上げ、発展させたものがそれなのです。


 光本和憲

(カウンセリングでは)情報は必要なとき・必要な分だけを得るようにする、というのが基本姿勢である。
そうなると、生育歴を総ざらいするような、いわゆるインテイク面接といわれているものは、森に分け入って、やたらめったら石を投げたり、大声で荒し回る、といった情報収集法であるため、治療効果を低下、もしくわ状態を悪化させかねない、ということである。

現在そういう情報収集法が、多くの相談・治療機関で常識となっており、そうした場で優秀なカウンセラーとして育つのは、かなり難しいと言わなければならないであろう。

 神田橋條治

自分とクライエントとが作っている複雑系の中で、カウンセリングが進んでいるのだ、ということを忘れて、自分は客観的な観察者であると思った瞬間にカウンセリングはうまくいきません。
実際の治療は、自分とクライエントとが共に織りなす複雑系の中で、様々なことが動いていっているということです。

 中井久夫

人柄っていうのはいい言葉ですよ。パーソナリティーなんていうよりずっといい。「どういう人柄であるか」っていうことに焦点を当てつづけるということは、非常に大切です。
でも私も、それをはっきり意識するのは遅かったですね。

 中井久夫

患者のアイデンティティが「何々病」「何々症」という精神科の病名や症状名になるのは悲劇的である。
治療者は症状を無視するのではないが、面接の焦点は人柄に置きつづける努力が必要だろう。患者は「人間の形をした何々症」ではない。

 中井久夫

「望ましい治療像は何か」という議論がある。これは机上の空論だと思う。自然に落ち着くところに落ち着けばよい。
また、治療目標としては、「適応」という言葉も私は好きではない。むしろ「折り合う」という言葉を用いたい。


 中井久夫

精神療法には、狭い意味と広い意味とがある。
狭い意味の精神療法は、森田療法・認知療法・精神分析療法・行動療法・内観療法などなど、それぞれ特別の名で呼ばれている。

これに対して広い意味の精神療法は、治療者の一挙一動に始まる。
そして治療の場で起こる患者の言動と治療者側の言動が、治療上どういう意味を持つかを考えてゆくことである。こちらの方が、実はとてもむずかしい。

それは登山をする人ならば思い当たることだろうが、「この岩は手をかけても大丈夫だろか。
この凹みはどう用いるのが良いのか。ここは滑りやすいから気をつけよう。
このルートは一見よさそうだが、あそこのオーバーハングで行き止まりになりそうだ
」などと考えながら、一歩一歩進んでいくことである。

この広い意味の精神療法がしっかりしていないのに、狭い意味の精神療法をおこなうことは危ない。
逆に、広い意味の精神療法がしっかりしている人ならば、その人が狭い意味の精神療法が何であろうが、その人の一挙一動から多くを学ぶことができる。

 神田橋條治

一般に、ベテランになればなるほど、見立ての説明は自信なげです。自分に自信があるから、正直に振る舞えるのです。
格好よい見立てをするのは、おおむね未熟な治療者の、自他へのこけおどしです。

 神田橋條治

〝気づき〟が本物であるときには、「前々から知っていた点を改めて知った」という感触を伴うことが多く、そのような特徴を持つとき、その気づきは必ず治療の力を発揮する。

 神田橋條治

お母さんが、この子を叩くんですよね。そういう話を聴いた時に、「その現場に立ち会って自分の眼で見ていれば、もっといろんなことが分かるのに・・・」と思う習慣を身につけてください。
「あ!児童虐待のケースだ」と思う方向に連想が動くなら、もう一生、治療者として大成する日はありません。


 神田橋條治

臨床は複雑系ですから、研究の結果から直接に治療方法が導き出されることはありません。
ですが、種々の研究で示されている知見は、臨床家の思いつきを刺激する力があります。

 木村 敏

ここでは慣例に従って「治療」という語を用いてはいるが(心理療法・カウンセリングにおける)治療という語の意味が特殊であることに、注意しておく必要がある。
つまり「治療する」とは(クライエントと)付き合ってゆくという意味と、それほど違わない。

 下坂幸三

経験の乏しいカウンセラーは、時折あれこれの試みをする。
言語的な交流がおもわしくないとみると、すぐ絵を描かせる、あるいは箱庭を作らせてみる、行動療法の真似事をやる。
近頃は精神療法の流派(○○療法のたぐい)に関する啓蒙書が出揃っていることもあって、このような一貫性のない精神療法が試みられることもあるようだ。

これは患者に不安と混乱と不信感とを与えるだけで、治療の短期化はおろか多くの場合、治療の中断を招く危険がある。
したがって、目先の効果を狙うあまりさまざまな手法をごちゃまぜにすること自体、非精神療法的なはからいである。

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